最後はなぜかうまくいくイタリア人 宮嶋勲著 まとめ

ピザ 集客できる社長の本棚

私はスペインに18年住んでいたということもあり、同じラテン気質な「イタリア」というこのタイトルが気になって読んでみました。スペイン人とイタリア人、結構似ています。ラテン気質な人々と交流がない方たちには、「えー」とびっくりなエピソードがたくさん。イタリアに行ったことがある人には「そうそう、あるある」と思えるコントのようなラテン話で癒されます。日本ではなかなか難しいのですが、少しはこんな風に生きられたらいいな、と思う毎日です。

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段取りという言葉は辞書にない!

イタリア人にもスペイン人にも「段取り」という言葉は彼らの頭にはありません。そういう概念がないのです。私は日本人だしもちろん「段取り」たるものが何なのか知っていますし、仕事で段取りをたてなければならないこともしばしばありました。でも日本側の「段取り」の細かさにスペイン側は唖然…ということが多々。スケジュールがめちゃくちゃ綿密なのです。日本側にしてみると「なんて適当な」なのですが。当然予定はおしおしで、大体の予定通りにもならないのですが、最後は何の問題にもなりません。

何でもだめもとで当たってみる

時にずうずうしいと思いましたが、使えるコネはどんなコネも使うというのが彼らの定義。

全く連絡のなかった人から、通訳をしてほしいとお願いがきたり(しかもタダで)。日本にいるなら見本市の接客を手伝ってほしい(しかもタダで)、など私もいろいろ当たられました。当たられる方は複雑な気持ちなのですが、断ってもあとくされのないところが彼らのいいとこと。

この本を読むと、どうやらイタリア人はスペイン人に輪をかけてだめもと精神満載なのかもしれません。だからスペインで営業の仕事をしているイタリア人、多いです。

短所は直さない、長所は伸ばす

「自分はこう」。悪いところもいいところもひっくるめて、自分は変えられない。変える気はない。というのがラテンの定義です。この潔さはあっぱれ。

私がソムリエをしていたときの職場の同僚のことです。何でも言い合える仲だったということもあり、彼女が大きな失敗をしても人のせいにして反省をしないのを見て「もうちょっと謙虚になりなよ。同じ失敗をしないために」と言ったら、猛烈に怒って「私は十分謙虚よっ 。失敗くらいするときは誰だってするわ」と倍返しで返ってきて、どこが謙虚よ…と心の中で思ったことがあります。確かに、失敗は誰でもあることだけど堂々と人のせいにするというのは、日本の大人の世界では考えられないですよね。

まあそんなこんなでも憎めないのが彼らの得なところ。そして、このように言い合ってもその場限りでうじうじ続く喧嘩にならないのがいいところです。

好きか嫌いかが判断の基準

これは、見習いたい点です。物事を決めるのに大事なのは結局「好きか、嫌いか」。

そしてこれは他人がそれに対してどう言おうと変わりません。「あなたはそうかもしれないけど、私はこれは嫌いです」。まあもちろん皆が皆これではあまりにも統率がとれないので、やはり立場が上の人の好みに合わせることになります。

が、マンションのご近所さんの会議などでは、誰も譲らず何も決定せずに終了。ということは日常茶飯事です。人の基準に無理に合わせない、人と違うから不安になって意見を変えるということはないのが感心します。

思い出がいっぱいのイタリア、スペイン。読んでいて懐かしい気持ちでいっぱいになりました。生き方という点でたくさんのことを教えてくれた人々です。

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